碧血碑

碧血碑
撮影:2022年10月30日
碧血碑
撮影:2022年10月30日
碧血碑
撮影:2022年10月30日
碧血碑
撮影:2022年10月30日

碧血碑の裏側には「明治辰巳實有此事 立石山上㕥表厥志」との文字が刻まれている。これは、「明治辰巳、実に此の事有り、石を山上に立てて以て厥(そ)の志を表す」と読み、「明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建ててその気持ちを表します」という意味である。明治2年(1869年)は箱館戦争で五稜郭の旧幕府軍が降伏し、戊辰戦争が終結した年であるが、建立当時でもそうした経緯に具体的に触れることがはばかられていたことが推測される表現となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
碧血碑
撮影:2022年10月30日
碧血碑
撮影:2022年10月30日

   碧血碑
 箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地、箱館での旧幕府脱走軍戦死者の霊を祀っているのが、この碧血碑である。碑石は、7回忌にあたる明治8年(1875年)、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、碑の題字は、戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。
 碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは、旧幕府脱走軍の霊を公 然と祀るには支障があったことが推測される。
 なお、 碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。

函館市

   Hekketsu-hi Monument
This monument was raised to the souls of Hijikata Toshizo and Nakajima Saburosuke and his sons who were killed in the Battle of Hakodate, and the other Tokugawa shogunate soldiers who died in battles between here and northern Tokyo. In 1875, the 7th anniversary of their deaths (a meaningful occasion in Japan), with the support of former Tokugawa military leaders Otori Keisuke and Enomoto Takeaki, this stone was transported from Tokyo by ship. The epigraph is attributed to Otori. Inscribed on the back of the pedestal is a 16-letter classical Chinese poem which explains the purpose of the monument. It suggests that the people in those days couldn’t offer prayers for the souls of the fallen Tokugawa shogunate warriors openly.
The name of this monument “Hekketsu” (blue blood) derives from an old Chinese saying: “The blood of warriors who die for their lord turns blue after three years.”

CITY OF HAKODATE
碧血碑
撮影:2022年10月30日

コメント

タイトルとURLをコピーしました