与謝野寛・晶子の歌碑

市立函館図書館の創設者であり館長でもあった岡田健蔵の雅号に由来する図書裡会が、棒二森屋百貨店の援助を得て、岡田健蔵を顕彰する意味も込め、昭和6年(1931年)に来函した与謝野寛・晶子の歌碑を立待岬に建立した。

与謝野寛・晶子の歌碑
撮影:2022年9月11日
与謝野寛・晶子の歌碑
撮影:2022年9月11日

(左)
浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立
待岬の岩かげの土       寛
啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじ
はこだてのこと        晶子

(右)
此の碑に刻んだ歌は、与謝野寛、晶子
夫妻が昭和六年六月六日函館に来遊し
た時の詠草の中から選んだもので、歌
の中の人間は、郁雨宮崎大四郎、啄木
石川一、図書裡岡田健蔵である。
昭和三十二年八月十五日建立
計画 図書裡会
賛助 棒二森屋

与謝野寛・晶子の歌碑
撮影:2022年9月11日

   与謝野寛・晶子の歌碑
 昭和31年(1956年)、市立函館図書館の創設者であり館長でもあった岡田健蔵の十三回忌が行われ、その際に彼の雅号にちなんだ図書裡会が結成された。翌32年(1957年)、同会は棒二森屋百貨店の援助を得て、岡田健蔵を顕彰する意味も込め、昭和6年(1931年)に来函した与謝野寛・晶子の歌碑を立待岬に建立した。
 晶子の短歌中に岡田先生とあるのが、健蔵のことである。
 また寛の作品として、健蔵の親友である宮崎郁雨の名前が読み込まれた短歌が選ばれた。

函館市

   Tanka Monuments to Okada Kenzo
Okada Kenzo was the founder and first director of the Hakodate Municipal Library.
In 1956 a memorial service commemorating the 13th anniversary of his death was held. At that time, an association of book lovers was also formed; its name, “Toshorikai”, is related to Okada’s pen name Toshori.
The following year, with the support of the Boni Moriya company, it erected these monuments in his honor, on which are inscribed tanka composed by Yosano Tekkan (a famous Japanese poet whose real name was Yosano Hiroshi) and his wife Yosano Akiko (real name Ho Sho) who had come to Hakodate in 1931.
Okada is referred to in Yosano Akiko’s tanka, and in her husband’s tanka, Okada’s best friend, Miyazaki Ikuu, is mentioned.

CITY OF HAKODATE

参考

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