候間一切目ニかゝらぬ様悉く蔵入いたし
聊ニても店先江差置申間鋪尤売買之
節者蔵内ニ而取扱可申事
但滞船中ニ居酒屋一切停止之事
一 呉服店小間物店等者取片付置可申尤
餅菓子其外草履草鞋等之売物者
店先に差置候而も不苦候得共彼等之望候者
不与候得者不本意ニ存自然角立候様之義
有之候而者以之外之事ニ候間食物ニ不限
差支無之品者無心いたし候ハゝ相与ヘ可申
若返礼いたし候ハゝ一応者差戻し強而差出
候様子ニ候ハゝ其品預リ置早々町役所江差出
可申候遣しかたき大切之品者急度隠し置
可申候
一 異国船湊出入之節土地之様子を試候ため
抔し発砲いたし候義も有之趣ニ付而者ア
メリカ船迚も同様発砲いたし候義ニ可
有之候間此段兼而心得居万一右様之義
有之候とも一同しつまり居可申若心得
違いたし騒立候もの無之様下々之もの共
迄能々相諭し可申候
一 市中端々ニ至迄海面見渡し之住居向者
何れも戸障子江急度締を付建合之隙
江者目張等いたし置決而覗見いた寸間鋪候
若万一心得違いたし二階梯子煙出し等
より沖合又者異人上陸等いたし候節差
覗候もの有之ニおいてハ召捕入牢可申付候
一 火の元之義者触達候迄無之何れも
心を用候義ニ者候得共猶また一際念入
可申且夜分ハ無提灯ニ而往来不相成候間
小前下々江も申付異船滞留中ハ別而
取締向行届候様可致候
一 年回仏事等相当り候とも異船滞留
中者差延可申且万一新喪有之候節
者葬具等格別手軽ニいたし男子
斗ニ而夜分物静に墓所江葬送
可致候追善茂右ニ准し穏便ニ相営
可申候
一 異船滞留中者観音薬師愛宕
七面等之山々ニ有之候神仏江参詣いたし
候義堅く御差止留被 仰出候
一 音曲所作いたし候ものニ而も異船滞留中
者堅く御差止被 仰出候
一 異船滞留中市中ニおいて不取留
風説等堅くいたす間鋪候右之通被
仰出候条堅く相守下々ニ至迄相諭可申
若心得違之もの於有之者当人者不及申
名主年寄町代親類組合迄急度御咎
被 仰付候間其旨相心得厳敷可申付
右之趣在町不残様可被相触候
四月
右之趣被 仰出候間此段相触候
寅四月六日夜写
四月七日如此御触有之一同左に心得山付
在辺ヘ所縁有之候族牛馬相頼飯料ハ
不申及夫々道具付出し候所舛形ニ而
町方差留牛馬道具ニ至迄差返し申候
是迄引越候分者無余儀次第ニ被仰候
得共度々之御触ニ背キ候得ハ御法斗破
同然ニ存手配いたし候分無汰と相成
御上様ニ茂格別之御取込と恐なから奉存候
亜墨利加御用中町代中割羽織
帯刀御免町々組頭アメリカ人上陸ニ付
股引ニ半天ニ而警固外ニ警固之もの
町々ニ沢山有之候得共名前役分不知
組頭共ニ何れも帯刀御免
四月三日より浜手囲方日々御見廻リ
同十五日迄漸く間ニ合申候
四月十五日巳之上刻アメリ船三艘汐首
澳ニ相見へ候趣汐首より乗切参リ候ニ付
兼而御用意之櫓鐘御役所より打出し
夫より七面山之櫓鐘又者御殿山櫓鐘
打出し市中受付判木打出し兼而
アメリカ舟当澗ヘ参リ候様承知いたし居
候得共市中騒々敷相成在々江引越
候ものも有之又者戸締付候族も有之
御役人中者夫々役場相守厳重不申及
且又見物之もの有之哉も難斗候趣ニ付
辻権三郎様と申御役人市中端々ニ至迄
早馬に打乗掛廻リ万一うろんのもの有之ニ
おいてハ無用捨鞭ニ而打其ものの名前
等聞尋し厳重之御役柄ニ候其後
町内警固之もの壱両人相咎候ニ付知と不宜候
様ニ町々噂有之候得共誤ニ不相成儀ニ存候
十六日遊船両艘ニ而山背泊より澗のうち
測量いたし夫より十七人程沖之口ヘ上陸
市中ヘしらせ之鉄棒相曳候ニ付家並
戸障子ヘ締ヲ付候得共猥ニ徘徊なし
十六日夜五ツ時より未申風ニ而時化
十七日三艘とも澗掛リ委しくハ後之図
絵ニ出し十八日十九日廿日所々江橋舟
乗廻し候得共町々江上陸なし御殿山ニ
備置櫓鐘取払
〃廿日巳之中刻火舟美士■ 1被 2鮑丹 3
両艘澗入いたし候得共先ン三艘之時より
市中不騒御合図茂無之候
同廿二日弁天町山田屋寿兵衛宅江大将体
之ものニ付添アンタムスと申通辞都合
七人上陸大将体之もの彼ノベロリ成り
其時之応接役御奉行工藤茂五郎様
外御役人様山田寿兵衛宅ニ罷有リ候得共
応接ニ不出夫々御座鋪ニ相扣候趣
彼等ニ御馳走与被下候右之応接方
何とか相済候哉しら寸夫より七人之もの
山田より出高龍寺へ参り直様町通リ
相掛リ実行寺ヘ参リ元舟ヘ返リ候様ニ
承リ候所六人連ニ而又々山田より出かけ
弁天町大町内澗町と段々見廻リ夫より
鎮守八幡宮へ参詣いたし同宮神主
居宅前通リかかり大工町辺江通リ
大三之坂下り内澗町ヘ戻リ一○店ヘ
立寄莨一二服呑む程間取其時
兼而御触出し法度之酒樽有之候趣
然共彼等望ミ無之候由夫より御役所ノ
坂より上リ寺町通リ見廻し山之上町
三〼上田屋稲蔵宅江立寄住吉屋
前通リ相掛リ山背泊御台場江参リ候趣
夫より山田屋ヘ帰リ元舟江戻リ
其時之警固御足軽町名主両人村田
林八様代嶋剛平様高橋七郎左衛門様
其外町々締方五六人
〃廿ニ日何等之義ニ候哉舛形ヘ三尺
四面斗リ之白キ籏壱本相立又壱本木
より向ヘ黒手之籏壱本都合有川辺迄
五本相立同日夕方茂辺地ヘ上陸致
何れより伐出寸候哉余程之木壱本
相立夫ヘ白キもの塗置候趣引網之義者
入舟より日々亀田浜江罷出小肴扨外
蚫ハマクリ蜊等取上ケ候趣其節知と不相済
御仁も有之由ニ候得共後日無其沙汰
引網之義者有川辺迄滞舟中有之
廿三日上陸いたし候得共自業之義
無之少々宛買もの等いたし候上陸
之人数四五十人
廿四日上陸之人数廿三日同様買ものゝ
義者店方へ彼等我儘ニ入込候得共
警固方不咎店先者不申及奥座鋪
迄も土足ニ而歩行不行義申斗も無之候
全体彼等国風と見得た利
然共同日ニおいて乱妨ケ間鋪事無し
当時内澗町ニおいて■ 4松屋勇吉と
申もの住居いたし木綿荒物類其外
秩父紅ミ等有之候付而者アメリカ人
通行いたし候もの不残入込木綿類者
買取不申候得共外品余程買取候間
夫より宮川屋利三郎ト申もの店江も買入モノ
いたし候ニ参リ兼而御触書ニ右様之品
隠し置候様ニと之御沙汰ニ候得共如何心得
候哉如此御上様より御咎茂無之候夫より
荒物店太物店方ヘ参リさまゝ之品
買取候決而一品成共貰不申
廿五日上陸之人数五六十人程廿四日
同様之買もの弁天町大町其外町之
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