有無両縁塔

地蔵寺境内(入口横)に建てられている有無両縁塔は、引き取り手のない遊女などの供養のため遊郭経営者たちが合同で建立したものである。

有無両縁塔
撮影:2021年9月15日
有無両縁塔
撮影:2021年9月15日
有無両縁塔
撮影:2021年9月15日
有無両縁塔
撮影:2021年9月15日
有無両縁塔
撮影:2021年9月15日

廓内遊女屋
施主人 住吉屋政十郎
小田屋善治
広田屋文吉
増屋定吉
宮川屋与吉
中里屋久一郎
東屋幸吉
金子屋東三郎
田中屋六太郎
小嶋屋栄三郎
大垣屋藤兵エ
高田屋たま
納屋孫右エ門

仲屋治右エ門
菱屋たま
北越屋さん
中嶋屋ひさ
新屋留吉
上田屋まさ
玉屋和五郎
佐藤久兵エ
盛屋武八
茂村屋定兵エ
伊勢屋徳右エ門
甲屋長太夫

世話人
■新屋留吉
塩越屋冨右衛門
上田屋利助
岩橋屋文五郎
菊邑屋安五郎
落合屋忠治郎

有無両縁塔
撮影:2021年9月15日

維時元治甲子歳
終夏六月仏歓喜日

有無両縁塔
撮影:2021年9月15日

   有無両縁塔
 この「有無両縁塔」は、元治元年(1864年)に、当時の遊郭の経営者たちが、引き取り手のない遊女などを供養するために、 合同で建立した供養塔である。
 かつて山ノ上町と呼ばれた界隈(現在の船見町周辺)には、多くの遊女屋があって賑わっていたが、箱館奉行が安政5年(1868年)に、その一画を山ノ上遊郭として公認してからは、整備も進んでいった。さらに、翌年の開港に伴い、日本各地の商人や外国人の往来が盛んになり、遊廓も一層の賑わいをみせるようになった。
 この碑は、開港という新しい時代の陰に、遊廓で働き、ここで生涯を終えざるを得なかった女性たちがいた事実を残すもので、台石には建立者たちの名が刻まれている。

函館市

   Umu Ryoento Monument
This monument was erected by brothel owners in 1864 in memory of abandoned women who worked in Hakodate’s entertainment district.
In days gone by there was a lively entertainment district just up the hill from the dock area (now Funami-cho). Business really thrived when the Hakodate magistrate granted a license and named this area the Yamanoue prostitute quarters in 1858, and especialy after the port was opened to foreign trade in 1859.
This monument reminds us of the fact that in the shadows of the port opening’s new age there existed women who had no choice but to work and end their lives here as prostitutes. The names of the donors are engraved on the pedestal.

CITY OF HAKODATE

参考

  • 「有無両縁塔」、南北海道の文化財 Cultural Properties of Southern Hokkaido、閲覧日2021年10月14日

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