豊川稲荷神社

豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日

   豊川稲荷神社
 文久年間(1861年~1864年)、付近の繁盛を願って有志が創立したもので、当時この付近は新築島(しんつきしま)と呼ばれていたが、この神社ができてから豊川町と称するようになった。
 昭和9年(1934年)の大火まで4回類焼しており、現在の神社は昭和15年(1940年)に建てられたもので、海に向いて建っていた当時とは向きが逆である。
 古くから商売繁盛の神様として多くの人々から崇められ、魚市場や蓬莱町(現宝来町)見番芸妓一同が献納した石灯籠などがそれを物語っている。

函館市

   Toyokawa Inari Jinja
This shrine was built during the Bunkyu era (1861-1864) by well-wishing townspeople in hope of bringing prosperity to the neighbourhood. The area, which until then had been called Shintsukishima, was named Toyokawa-cho after the shrine was raised. Unfortunately, the shrine met five fires including the great fire in 1934, and the present-day shrine was built in 1940. While the original shrine faced the sea, the current one is oriented in the opposite direction.
People have long visited this shrine to worship the god of prosperity, attested to by the stone lanterns which were donated by fish market workers, and geisha managers from Horai-cho.

CITY OF HAKODATE
豊川稲荷神社
撮影:2022年9月11日

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