鯨族供養塔
函館は、幕末から捕鯨との縁は深く、安政4年(1857年)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を箱館に派遣して捕鯨の指導をさせたり、また、ドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡がある。この供養塔は、昭和32年(1957年)9月に遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手の「天野太輔」が、それまでに捕獲した多くの鯨を供養するために建てたもので、上部には背美鯨の模型が据えられているほか、裏面には鯨の説明が詳細に刻まれている。天野翁83歳の時のことである。また、碑文には「明 治四十年以来捕鯨ニ従事セシコト二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間二於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ…」と刻まれ、大洋漁業、日本水産ほかの捕鯨会社が賛助員として名を連ねている。
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