厳島神社

厳島神社
撮影:2021年9月24日

函館市弁天町の厳島神社(観光標識では「厳」の字は、旧字の「嚴」)は、古くは弁財天社と呼ばれ、江戸時代の早い頃から存在していたものと考えられている。

亀田八幡宮の神職が漁期に来て豊漁祈願したのが始まりといわれ、『津軽一統志』にも「弁才天」と記しているから、寛文10(1670)年ころには存在していたと思われる。また『福山秘府』には、宝永6(1709)年「泉州堺鍋屋五郎兵衛と申者願に付造替、此節神体を安置」と記されている。

『函館市史 通説編1』
厳島神社
撮影:2021年9月24日
厳島神社
撮影:2021年9月24日
厳島神社
撮影:2021年9月24日

   嚴島神社
 この神社は、江戸前期に創建された神社で以前は弁天社と称された。場所は何度か移され、現在地には慶応2年(1866年) に移ってきた。現在の建物は明治40年(1907年)の大火後、大正4年(1915年)に建てられたものである。
 弁天社は明治4年(1871年)に市杵島神社と改められ、明治35年(1902年)に厳島神社と改称された。
 境内には寄進された貴重な遺物が多く、文政6年(1823年)の手水石鉢を始め、天保8年(1837年)に加賀の廻船主たちが寄進した鳥居や、嘉永7年(1854年)に海上安全のため奉納された方位石など、古い建造物がある。この神社は古くから海の 守護神として、地元漁業者のみならず、松前をはじめ遠くは北陸、大阪などの商人の尊信を得ていたことが、これらの遺物でわかる。

函館市

   Itsukushima Shrine
This shrine was founded in the first half of the Edo period (1868 – 1912). In its original incarnation as Benten Shrine, it was relocated several times before finally being rebuilt here in 1866. It became Ichikishima Shrine in 1871 and finally Itsukushima shrine in 1902. In 1915 the current building was reconstructed after the big fire of 1907.
This shrine houses a number of precious items which have been contributed by followers. A stone washing bowl to purify hands was dedicated in 1823, the shrine gate was donated by the owners of merchant ships from Kaga (Ishikawa prefecture) in 1837 and a stone azimuthal compass for maritime safety was also offered in 1854.
These special contributions show that this shrine has been particularly regarded as a guardian spirit of the sea for a long time; by not only local fishermen but also by wealthy merchants from Matsumae and even Hokuriku (northern Honshu) and Osaka.

CITY OF HAKODATE

参考

  • 「神社」、函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1、閲覧日:2021年12月12日

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