函館市

船見坂

港に出入りする船舶がよく見えることから、明治6年(1873年)坂上を船見町と名付け、その町に通じる坂なので「船見坂」と呼んだ。また、称名寺の下の坂なので「称名寺坂」とも呼ばれた。戦後、上が校地となり坂は途中までとなった。
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弁天岬台場跡

西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。安政元年(1854年)、箱館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府へ上申し、弁天岬台場を築造することになった。台場は、安政3年(1856年)、10万両の予算で、現在の函館どつくの一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32,340m2)をした台場は、元治元年(1864年)に完成した。
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東本願寺函館別院船見支院

船見支院は、日本最初の鉄筋コンクリート寺院として名高い元町の東本願寺函館別院の墓地を管理するため、明治37年 (1904年)に建てられたもので、現在の建物は大正15年(1926年)に完成した。
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鯨族供養塔

函館は、幕末から捕鯨との縁は深く、安政4年(1857年)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を箱館に派遣して捕鯨の指導をさせたり、また、ドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡がある。この供養塔は、昭和32年(1957年)9月に遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手の「天野太輔」が、それまでに捕獲した多くの鯨を供養するために建てたもので、上部には背美鯨の模型が据えられているほか、裏面には鯨の説明が詳細に刻まれている。天野翁83歳の時のことである。また、碑文には「明 治四十年以来捕鯨ニ従事セシコト二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間二於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ…」と刻まれ、大洋漁業、日本水産ほかの捕鯨会社が賛助員として名を連ねている。
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千歳坂

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   千歳坂 明治12年(1879年)の大火以後にできた坂で、昔、坂の東側に神社があり、ここに松の木があったの...
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実行寺

実行寺は、明暦元年(1655年)、山ノ上町(現弥生町)で清寛という僧が草庵を結んだのが始まりといわれ、元禄3年(1690年) 松前の日蓮宗法華寺の末寺となったが、実行寺と称するようになったのはいつ頃からか明らかではない。(明治17年山梨県身延山久遠寺の末寺に編入。)
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魚見坂

函館で一番西にある坂で、坂の上から湾岸に押し寄せてくる魚群の発見に便利なところだったのでこの名が付いたといわれている。この坂の上の方は昭和40年まで台町という町名だったので、最近まで「台町の坂」とも呼ばれていた。
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土方・河野供養碑、高田屋一族の墓

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   河野加賀守政通公の供養碑河野政通公は享徳三年(一四五四)南部大畑より渡来し、現在の函館病院附近に館を築き函館一帯の地を治めた。後、アイヌ等と和人の間に争を生...
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称名寺

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   称名寺 称名寺は、正保元年...
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高田屋嘉兵衛顕彰碑

称名寺境内にある高田屋嘉兵衛顕彰碑は、高田屋嘉兵衛130回忌を記念して昭和31年に建てられたものである。撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日何れの邦土にも其の邦の風習はあるが斯様な仕事を為せる者を真...
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